山水路考

本の記録です。

一年生帰りつきたり秋嵐/多読記(5)

長女(小1)が学校から帰ってくる時間帯、雨と風が強かった。

風に飛ばされてるんじゃないかと思って玄関に出たタイミングで、びしょぬれになりながら帰ってきた。少しこわばった顔をしていたが、「飛ばされてるんじゃないかと思って」と声をかけると、「心配しすぎだよ」とぱっと笑顔になった。

そういえば、我が家の子ども達は雨をあまり気にしない。

むしろ長女は、雨や風の時のほうが歩きたがる。

いつもは「自転車に乗せて」なのに、今日は「歩く」といい、街灯の光の下でくるくる回っていた。

 

今日、読みたくなった本は『エコラリアス 言語の忘却について』(ダニエル・ヘラー=ローゼン著、みすず書房)。

一言で言えば、言語哲学エッセイだが、「忘れる」がキーワードになっている他に無い本だと思う。

「子どもが言葉を覚える時に赤ちゃん語を忘れるように、言葉はいつも失われた言葉のエコーである。忘却が言語の創造性である」と帯にある。

長男は、2歳までに覚えた膨大な野菜の名前をすっかり忘れてから「普通の日本語」を話し始めた。そのための鍵を見つけた気がした。

「言語の中には話し手よりも多くの記憶が残っていて、それは生き物より古い歴史の厚みの痕跡を示す地層に似ている」(p.91)

 ここから個人の言葉の在り方をアナロジーすると、長男も赤ちゃん時代に覚えた言葉を忘却しているが、おそらく奥の方では痕跡として残っているのではないか。その痕跡(内容だけではなくつき方も含めて)こそが、実は非常に大事なのではないかと推論していた。その支えになるような著者のような見方を見つけることができて、もっと深めてみる気持ちになる。

 

 

 

 

エコラリアス

エコラリアス